杏里ちゃんとリナちゃん(仮)

あの日からずっと、杏里ちゃんは、わたしの大切な人です。

 わたし達が生まれ育ったこの街は、一応首都圏の、でも一応ってつくぐらいの平和な街で。
 駅前には小さなコンビニ、どこにでもあるカフェとファストフード店とファミレスと、駅の反対側に行けばスーパーと小さなチェーン居酒屋が数件ある。駅前の面積の一番を占めているのは駐輪場っていうぐらい。
 高校を卒業するまでわたしも杏里ちゃんもここで育ったから、電車で遠くにお出掛けする時には杏里ちゃんの自転車をここに停めていた。
 真っ赤でつやつやした自転車。鍵についていたのは、フェルト玉で出来た不思議なマスコット。外国の御守りなんだよって自慢気に言われたそれの可愛さはわたしにはよくわからかったけど、杏里ちゃんが嬉しそうだからわたしも嬉しくなったのは覚えてる。

 あの頃は少ないお小遣いでやりくりをしていたからファストフード店かファミレスのドリンクバーが定番で、もう大人なんだけど、それを思い出して久しぶりにファストフード店に入ってみた。
 店内は変わらずで、あの頃の定番メニューのドリンクSサイズと二人でわけっこする為の一番大きいサイズのポテトをオーダーする。
 番号札一番でお待ちください、と懐かしい言葉に会釈をして、トレイを抱えて席につく。あの頃とおなじ、端っこの席。楽しいおしゃべりも、買ったばかりのアクセサリーを広げてわいわいしたのも、重大な打ち明け話も、二人で笑ったのも泣いたのも、この席。ああ、懐かしいなぁ。
 そして運ばれてくるポテト、揚げたて、熱々。頼んじゃったけど、ひとりで全部食べ切れる気がしなくって、杏里ちゃんの為に半分残して置こうと思った。冷めたら美味しくないよ。美味しいうちに、二人で食べよう?





第一章



杏里ちゃんは、ちいさくて、おっきい。

 出会ったのは五歳の頃なんだけど、その時から体が人一倍小さくって、でも存在感は人一倍大きくって。同じ幼稚園の同じひよこ組だった杏里ちゃんに初めて会ったときのことも、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
 生まれつきだというふわふわカールした長い髪をふたつに結って、おおきなリボンを付けて。あまり似ていないおっとりしたママに連れられてひよこ組の教室に入ってきたお姫様みたいな女の子は、入ってくるなり「あんりと鬼ごっこするものこのゆびとまれー!」って大きな声をあげて、手を挙げた。わたしだけじゃなくて、教室中の子供たちの視線が釘付けになる。お姫様みたいに可愛い女の子は、誰よりも活発な女の子だった。杏里ちゃんは「いちばんさいごの子が鬼ねっ」と楽しそうに笑って、困っている先生たちを尻目にわあっと群がった子たちと一緒に園庭へ駆け出す。その杏里ちゃんのツインテールはまるで、ぴこぴこ揺れるうさぎの耳のようだった。
 その頃のわたしは、パパやママや家族以外とお話するのも苦手で、幼稚園では端っこで目立たないようにしていたから、元気でいつでもお友達の輪の中にいた杏里ちゃんとの接点は全くなかった。ただ、まるで別世界のひとのような、テレビのアニメーションに出てくるヒロインのような、キラキラした杏里ちゃんを憧れの混じった視線で追っていた。
 端っこで別に不満だったわけじゃない。ひとりで遊ぶのも楽しかった。
 わたしの生まれた家には、狭いけれど庭もあって、そこにはママの育てた色とりどりのお花が咲いていた。いつでも光と色にあふれたそこで、お花やそれに群がる昆虫を観察してみたり、それを絵に描いたり、ママにお花について教えてとねだるのも好きだった。やっぱり私の子ねと嬉しそうなママから買ってもらった植物図鑑と昆虫図鑑はわたしの宝物で、その図鑑を抱えてママと一緒に近所の公園に知らない花や生き物を探しにいくのも大好きだった。
 公園の端っこ、ツツジの木の植え込みの奥には、小さなタンポポがいた。まだ弱々しくぺたんと葉っぱを地面に広げていた姿を見つけた冬の日にからずっと、それは私の大切なものだった。ママにも教えないで、ひとりで大事にしていた。
 まるで隠れるように植え込みの隅にいたそれは自分に似ているような気がして、はじめてのお友達だったのかもしれない、と今では思う。
 誰にも気付かれませんようにと祈って、見守った。ぺたんこだったロゼット状だった葉はふわりと立ち上がり、あっというまに蕾を付けた。蕾は愛らしい花を咲かせて、また蕾の形に閉じた。公園に来た日は必ず挨拶に行って、毎日見守っていた。蕾のさきっぽからふわふわの白い綿毛が見えてきた。図鑑で調べると、これがまた開いてあのまん丸な綿毛になると書いていた。毎日すこしずつ形が変わっていった。ひっそりと生きているそれが、五歳の私にはすごく大切な「かわいい」だった。
 次に強い風が来たら飛び立つだろうなっていうその日に、杏里ちゃんは杏里ちゃんのママと公園に来た。そして、隅っこの植え込みのむこう、座り込んでまるで隠れるようにしていた私に話しかけた。リナちゃん、なにしてるの?って。好奇心いっぱいの、まんまるな瞳がわたしを覗き込んでいた。口から心臓が出そうなぐらい驚いた。思わずぎゅっと唇をかみ締めて両手で押さえた。
 同じ幼稚園に通っているし、いつでも目立っていた杏里ちゃんのことを知っているけれど、杏里ちゃんもわたしを知ってるんだ、という当たり前といえば当たり前のことは、当時の私の考え至るところではなくって。その時のわたしは、今までお話したことないクラスのお友達に、杏里ちゃんに名前を呼ばれただけでどきまぎしてしまって、返事も出来ずにタンポポの綿毛を指差すだけで精一杯だった。
「わーっ、すごい!おっきい!」
 ふわふわに育ったそれを見て、杏里ちゃんは目を丸くしてそう云った。そして、その後、リナちゃんもすごいね、よく見つけたね!と笑った。まん丸な目が弧を描く。きらきらの光を纏ったような、眩しい笑顔。まるで陽に愛されたお花がぱっと咲いたような、そんな笑い方。絵本やテレビアニメで見たお姫様のような上品な微笑みではなかった。全力で咲いているお花に似ていた。
 わたしはわたし自身をも褒められたのが照れくさくって、それをごまかすように花がまだ冬の寒さを絶えていた頃から見守っていたことを話した。ずっとママにもお話しなかったわたしだけの「かわいい」を、お花に似た女の子だけ教えたんだ。

「覚えてるよー」
 馴染みの古着屋さんの小物コーナーにしゃがみこむ杏里ちゃん。真剣に品定めをする杏里ちゃんがそこで手に取ったのは、黄色のお花とふわふわのファーの付いた髪飾りだった。まるであの日タンポポの綿毛とそのお花みたいで。 
 思わずその思い出話をしたら、杏里ちゃんは満開で笑った。変わらない、ぱっとお花が咲くような、きらきらの笑顔。高校生になって、お出かけの日はメイクをするようになった杏里ちゃんの頬には、オレンジのチークがふわり咲いている。メイクをしてもあんまり変わらない幼げな顔立ち。くしゃって笑う。かわいい。
「うれしい。覚えててくれてるんだ」
 うれしくなって、わたしも笑顔になる。
 あの日をきっかけにわたしと杏里ちゃんは急速に仲良くなった。それから高校生の今まで、ずっと杏里ちゃんが一番の友達だった。何も言えなかったはじまりの日だったけれど、それからたくさんおしゃべりをした。
 杏里ちゃんはとても素直で、すきときらいがはっきりとした女の子だった。素直な
杏里ちゃんの横でその光にあてられたわたしは、人見知りなのは変わらないけれど、自分の気持ちを口に出すことを恐れることが減った。特に、杏里ちゃんになら、何でも話せるようになっていた。わたしが自分のすきな植物や生き物……苦手とする女の子が多い昆虫なんかの話をしても、杏里ちゃんはにこにこしながら聞いてくれた。リナはそれがすきなんだね、って笑ってくれた。
 小学生になったくらいからだったかな、杏里ちゃんの自己主張は持ち物やお洋服にも現れて、杏里ちゃんのまわりは杏里ちゃんの選んだ「すき」で溢れていた。
 杏里ちゃんや他のお友達も一緒に、自分のすきなものやお小遣いを貯めて買った雑誌を持ち寄って、あれが可愛いとかこれが可愛いとか、たくさんのキラキラしたものに触れて、自分が何を「すき」かも知った。結果、杏里ちゃんのすきとは全く違う方向性の、所謂ギャルっぽい、って呼ばれる見た目になったけれど、杏里ちゃんが離れていくことはなかった。
 思い出を、今のわたしが作られた切っ掛けのような大切な出会いを体現したようなその髪飾りは、何より素敵なものに見える。
 明るい茶色で巻き髪のわたしの髪にはあんまり似合わないだろうけど、杏里ちゃんのふわふわの髪にはきっと映える。杏里ちゃんにはよく似合うだろうし、杏里ちゃんならその髪飾りの可愛さを発揮できる。わたしにはちょっと難易度高い、けど。まぁ、言ってしまえば、まず、この古着屋さんに置いてるものはほとんど好みではなかったし、古着屋にレコードにヴィンテージショップに、っていうサブカルチャーにまみれたこの街がわたしの「すき」とは遠い。去年、杏里ちゃんの誕生日プレゼントに「欲しいけどすっごく高くてね……」って云ってたリメイク作品の一点もののバッグをひとりで買いに来たときなんか、すれ違うひと皆に見られてるような気がして、まるで街全体から浮いてる気分だった。杏里ちゃんと歩いてるときは、そんなに気になんないんだけどなぁ。
 わたしがこの街から浮くのはやっぱり、この明るい髪色のくるくる巻き髪と、体のラインの出るキャミソールビスチェみたいなトップスにショートパンツを合わせて、高いヒールの靴を履いているからなのかな。わたしが好きなのはこういうおしゃれなんだけど。
 この街が好きで、この街に馴染みすぎる杏里ちゃんの格好は、古着屋さんで買ったというゆったりとしたスウェットに足首まであるロングスカートで、ふわふわのくせっ毛を頭のてっぺんで大きなお団子にしている。首元には糸だか紐だかに石ころとモチーフレースが組み合わさった、わたしから見ると謎の組み合わせのネックレス。杏里ちゃんの大のお気に入りのそれの可愛さは、キラキラのアクセサリーの好きなわたしにはよくわからない。今も、フェルトのタンポポとファーのそれと、三センチぐらいの人形がたくさん付いた髪飾りとで迷っていて。どっちがいいかなー?なんて真剣な顔で訊かれても、わたしに人形の付いたバレッタの可愛さはよくわかんない。民族調っていうの?本当にどこかの民族の手作りを買い付けてきたものらしい。
 タンポポのほうだと嬉しい思い出がくっついてくるからっていう理由でタンポポの髪飾りを推すと、杏里ちゃんは、やっぱり?私もこれ本当に可愛いと思うの!って熱く同意する。けれど、やっぱり謎の民族の人形アクセサリーも気になるようで、うんうん唸っている。わかるよ、どっちも可愛いと思ったら迷って選べないよね。悲しきかな女子高生、どっちも買う!っていうのはお財布が許してくれないの。
 とか云いながら、杏里ちゃんは二つともレジに持って行っちゃった。
 馴染みの店員のお兄さんが、それ絶対好きだろーと思ってたって笑う。杏里ちゃんもすげーツボなんですーって笑ってる。いわゆる草食系男子っていうのかな、小学生の女の子のショートヘアみたいな髪型に黒縁のめがね。細くて折れそうな体にずるずるとした重ね着のトップスとヴィンテージのジーンズ。わたしには謎のアクセサリー。
 物腰穏やかで爽やかなこのお兄さんと杏里ちゃんは仲が良い。杏里ちゃんにくっついてよくこのお店にきているけれど、まったくお店の洋服や小物になんて興味を持ちそうに見えないわたしにだって善くしてくれるし、いいひとなんだと思う。タクヤさんっていったっけな。お店のBGMでよく流れているインディーズバンドの音楽は私も好きで、それも覚えていてくれて話を振ってくれる。ただ、やっぱり服屋の店員さんのタクヤさんと、そのお店の服が好きなお客さんの杏里ちゃんとのお洋服談義はわたしにはよくわからなくって、新作がー…とかお話しているふたりには付いていけない。
 ちょっとだけ悔しい気持ちを抱えながらお店の中を手持ち無沙汰に眺める。と、今日もお店のBGMで流れているインディーズバンドの、単独ライブ告知ポスターが貼られているのに気付いた。
「ああ、それ。よかったら、ライブ終わってからだけど、もらって下さいよ」
 ポスターに視線を奪われたわたしに気付いたタクヤさんが声をかけてくる。気前のいい発言に驚くのと嬉しいのとで固まっているわたしの横に駆け寄ってきた杏里ちゃんが、このライブ行くんですよー!リナとふたりで!ってタクヤさんに自慢している。性格も持ち物も服も、なんにも似ていないけれど、音楽の趣味だけはふたりとも似ているの。杏里ちゃんに連れられてこのお店に初めて来た時にBGMで流れていたのもこのバンドで。ふたりして一瞬で掴まれてしまって、そのままその日もお店にいたタクヤさんに詳細を聞いてCDを買いに走ったから、きちんとこのお店の服を見たのは二回目に来たときだった。
 ほんとにたのしみー!ってテンション高く話す杏里ちゃんに、少し困った顔で対応するタクヤさん。
「本当に仲が良いよね、二人とも」
 そういわれると、くすぐったい。仲良しだもんって杏里ちゃんがふざけて抱きついてくる。仲が良いって思っているし、杏里ちゃんもそう思ってくれているのも知っているけれど、人に言われるのってすこし背中がかゆくって、そしてすごく心地良い。

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